ジャッキー・チェンの醒拳
原題 龍騰虎躍
製作 1983年
めぐちゃんの満足度 ★★★☆☆
ジャッキー・チェンがゴールデン・ハーベストに移籍した後に羅維(ロー・ウェイ)が製作したカンフー作品です。
香港映画に精通している方ならご存知かと思いますが、ジャッキーは本作の撮影を降板しています。
本作は過去のジャッキー作品である「クレージーモンキー 笑拳」「拳精」「龍拳」の一部のシーンや、未公開フィルムなどを流用し、ジャッキーのダミー俳優が追加撮影を行い製作された問題作です。
ダミー俳優を使った香港映画というと「死亡遊戯」が有名ですが、そこまでして映画化しようとする根性がある意味すごい(;^_^A
なぜジャッキーは降板したのか?
ジャッキーの映画人生を振り返りながら経緯を説明します。
サモハンや元彪らと同じ中国戯劇学院出身のジャッキーは幼い頃から映画に出演していましたが、いったん映画界を離れます。
その後、ロー・ウェイの映画会社と契約し映画界に復帰しますが、鳴かず飛ばずで、不遇の時期を過ごします。
ロー・ウェイはジャッキーをブルース・リーのようにシリアス路線で売り出そうとしていたのですが、これが当たらず、ジャッキー自身も方向性の違いに不満を抱いていました。
そんな時、当時まだ若手だったプロデューサーの吳思遠(ウー・シーユエン)の作品に出演することが決まり、これが大ヒット!!
日本でも有名な「スネーキーモンキー 蛇拳」と「ドランクモンキー 酔拳」です。
ジャッキーの持ち味であるコミカルカンフーが大当たりし、香港スターの地位を確立したジャッキーは、プロデューサーやマネージャー業をしていた陳自強(ウィリー・チャン)と共に映画製作会社「豐年影業公司」を設立し、「クレージーモンキー 笑拳」を製作します。
ロー・ウェイとの契約が終了したジャッキーですが、恩があったためか「ジャッキー・チェンの醒拳」には出演を決めます。
しかし周囲はロー・ウェイの所で仕事をしてもジャッキーの良さが活きないと懸念し、当時勢いのあったゴールデン・ハーベストへの移籍を考えますが、ロー・ウェイはジャッキーを手放したくなかったので、これに大反対。
しかし結局ジャッキーはゴールデン・ハーベストと契約し、自身が監督・主演・武術指導を務め、「ヤングマスター 師弟出馬」を製作します。
その後ジャッキーは「バトルクリーク・ブロー」や「キャノンボール」撮影のために渡米し、「ジャッキー・チェンの醒拳」の撮影をドタキャンします。
これに怒ったロー・ウェイは黒社会の関係者を使ってジャッキーを追いつめますが、黒社会に精通する王羽(ジミー・ウォング)が仲裁に入り、双方は何とか和解します。
この和解の話は後にまたジャッキーを悩ますことになるのですが、その話はまた次の機会に。
往生際の悪いロー・ウェイはジャッキーがいなくなった後に冒頭で前述した未使用フィルムやダミー俳優などを使用し、ジャッキーに無断で「ジャッキー・チェンの醒拳」を強行製作します。
大まかにいうと、こんな感じです。間違ってたらご指摘ください(^^;)
でも私、意外と楽しめましたこの作品。(ぶっちゃけ、もっとヒドイと思っていたので)
継ぎ接ぎだらけで話が繋がってなかったり、デタラメといえばデタラメなのですが、前半のジャッキーの未公開フィルムのシーンとか結構面白いです。
石天さんも相変わらず面白いです(^O^)
陳慧樓(チャン・ワイラウ)の息子役は惠天賜(オースティン・ワイ)です。
惠英紅(クララ・ワイ)のお兄さんです。
イケメンでお年を召しても超ダンディ。(むしろ私はおじさんになった方が好き♪)
でも若くして亡くなられてとても残念です…。
本作では怠け者のドラ息子で、ご飯を食べる時も用を足す時もカラクリを使って一歩も動こうとしない横着ぶりが笑える!
それなのにカンフーはメッチャ強いの何でやねん(笑)
オースティン・ワイの弟分を演じていたのは韓國材(ハン・クオツァイ)でした。
カタカナ表記ムズい(^^;)
任世官(ヤム・サイクン)は笑拳とほとんど一緒でした。
しかも年月経ってる設定なのに見た目が全然変わってなかった(笑)
ジャッキーのダミー俳優は誰だったんでしょうね??
これが映画として世に出るって、すごい時代(;´∀`)
日本にもそういう映画ってあるのかな? きっとあるんだろうなぁ。